2024.09.30
池田高校の次、高校野球聖地巡り第三弾は二十四の瞳で話題になった高知県立中村高校。中村高校が最初に甲子園出場を果たしたのは昭和52(1977)年のセンバツ、当時のエース山沖投手は後に専修大から阪急ブレーブス(現オリックス)へドラフト1位で入団。二十四の瞳とは選手が12人のこと。出場しただけでなく、決勝まで進み惜しくも箕島高校に敗れるも準優勝はご立派でした。
中村高校は四万十川近くで、専用グランドがある傍らに記念碑があり、40年振り二回目の出場(この時は16人三十二の瞳で話題に)をした平成29(2017)年センバツ時の記念碑も並んで建立してます。残念ながら二回目は初戦敗退ですが、最優秀応援団賞を受賞したところは、いごっそうな気質を見受けられます。
偶然にも、同行者が一回目準優勝時の捕手の親戚だったことや、中村高校ご用達スポーツ品店が知り合いということで親近感も湧き、スポーツ用品店では二回目出場時の応援グッズをお土産に頂きました。 中村高校、三回目出て来てくださいね!
追伸 山沖投手、今は神戸三宮でスナックをやってるようなので、関西行った際には寄ろうかと思います
2024.09.24
高松商に次いで、高校野球聖地巡り第二弾はご存じ徳島県立池田高校。池田高校といえば、全国優勝もさることながら、攻めダルマこと蔦監督、さわやかイレブン、筋トレ等、数々の話題を生み高校球界を一世風靡したことが蘇ります。こちらの校庭にも数々の優勝記念碑が立てられ、また校内にはOB会資料室があり、チームの戦績から豊富な資料・写真、そして、なんといっても蔦監督のお人柄が垣間見える蔦監督の経歴、写真等々が所狭しと展示してありました。
池田高校のことは多くの出版物があり、これらの本を読んだ後に阿波池田の町を訪れたので、想像の世界と実世界が色々な部分で重なりました。
その一つ、寮生活をしていた生徒達が食堂代わりにしていたレストハウス・ウエノ(ここにも池田高校野球部資料の展示あり)は健在で、味とボリュームは変わってないんだろうなぁと思いながら美味しく頂きました。
阿波池田の街はかつて葉タバコの栽培が盛んで、昔はタバコ工場もあったり、街並みはいまだ旧家が残り、その旧家で生まれ育った蔦監督に想いを馳せながらの散策はその時代に戻ったような気になりました。またあのユニフォームを甲子園で見たいですね。
2024.09.17
過日、高知へ赴くことがあったので、途中下車し高校野球の聖地をこの目に焼き付けてきました。第一弾は香川県立高松商業。
高松商といえば、野球王国 四国4商(徳島商、松山商、高知商、高松商)の一つ。出身OBには、古くは元巨人監督の水原茂、最近では広島 末包、巨人 浅野含めプロ野球には26人も送り込んでいる四国でも名門中の名門です。
その校庭には数々の甲子園優勝記念碑や戦績の碑が建てられていました。ホントは持参した『2015年神宮大会優勝時の四国新聞』と共に撮影する予定だったのが、積み上げてきた歴史の重みに感動してすっかり忘れてました。グランドも拝見させて頂いたので、このグランドが栄光ある歴史を築いて来たのかと思うと感慨深くなりました。
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